わたしを動かした「出逢い」のはなし~株式会社TBM 代表取締役 山﨑敦義~
わたしを動かした「出逢い」のはなし
新しいチャレンジや夢に向かって走りつづけている輝くビジネスパーソンに「運命を変えた出逢い」を聞かせていただく新企画。第一線を駆け抜ける彼らの出逢いのエピソードから、新しい人脈を作るヒントや、仕事のモチベーションアップのきっかけを探ります。
だんじり祭りで有名な、大阪岸和田市出身。中学卒業後大工見習いをしながら、ご本人いわく「ヤンチャ」な少年期を過ごし、20歳の時に中古車販売会社を起業。起業から10年後、偶然出会った「ストーンペーパー」を事業にした株式会社TBMを2011年に設立。自社工場でエコノミーとエコロジーを両立させた新素材「LIMEX」を作り上げ、国内特許を2014年に取得。常にチャレンジを続けるTBM代表取締役、山﨑敦義さんに『わたしを動かした出逢い』についてインタビューさせていただきました。
「歴史あるヨーロッパの文化との出逢いで、再起業を考えた」
ー20歳の若さで中古車販売の会社を起業されたきっかけを教えていただけますか?
あの当時、「大きな会社に勤めることはできないだろうけど、自分で大きな会社を創ることはできるのではないか」と考えていました。僕が育った岸和田は、車社会の地域だし、中古車販売の需要を感じたんです。自分のようなバックボーンの人間が、大きな事業や、グローバルなフィールドで成功できたとしたら、後輩たちに、自分で人生を切り拓くヒントをあげられるだろう、という思いがありました。
早くに起業をしたことで、会社の大小にかかわらず、与えられた時間は平等で、その時間の使い方で仕事の勝負が決まる、と知ることができた事は一つの大きな経験です。
ーその後、事業は順調だったかと思うのですが、再度起業を考えるきっかけとなった出来事について教えてください。
29歳の時でした。当時、成功や失敗がありましたが、既にいくつかの事業落ち着いていたので、少し時間ができて、ふと「このままでいいのか」という空虚感にとらわれたんです。そのタイミングで、お世話になった社長がヨーロッパを周遊するとのことで、ご一緒させていただく機会に恵まれました。
ロンドンからバチカン、スペインと旅するなかで一番衝撃を受けたのが、バチカンで見た景色でした。バチカンの歴史ある建築物の迫力に肌で凄みを感じて圧倒させられたんです。他にも、ヨーロッパのそれぞれの国で、脈々と続く歴史と文化に触れながら、こんな平和な時代に自分の会社を作って、自由なチャレンジをさせてくれている周りの人達や環境に心から感謝しましたね。そして、「自分がやれることを精一杯したい」「自分だったら何ができるんだろうか」と考えるきっかけを与えてくれる旅でした。
「兆という単位のお金を動かす人間、がベンチマーク」
ーそこから、具体的な目標や想いに至るストーリーに興味津々です!
起業して10年って、あっという間だったんです。20歳で起業してその時30歳だったので、あと三回繰り返したら60歳なんだ、と思うと本当に時間がない気がして焦りが生まれました。
ヨーロッパ旅行で得たインスピレーションを元に、「自分は何がしたいのか」と考えた時に、若い人たちがもっとチャレンジ出来て、グローバルで一緒に戦える環境を作り、人の幸せや世の中の役に立ち、100年後も継承されるような会社を立ち上るという目標に至ったんです。
そして、そんな時とある講演で、孫正義さんが「器や人間的に小さい者は、所詮100億、1000億しか生み出せない。『兆』の付く人間は、志を持って、仲間を大切にし、謙虚さと感謝をいつも携えている人間だ。」とおっしゃっていて、その言葉との出会いから『兆』の付く規模の事業、というものをベンチマークすることにしました。
「ストーンペーパーと出逢って、ピンときた」
ー「ストーンペーパー」の事業はどのようにして思いついたんですか?
ヨーロッパ旅行から帰ってきて、知り合いの社長さんから、台湾企業が作っている「ストーンペーパー」というものを紹介される機会があったんです。
ストーンペーパーは、石灰石を主原料としているんですが、石灰石というのは量が豊富で低価格なんです。ストーンペーパーは製作工程も非常にシンプルで、エネルギーコストも下げられる。こんなにいいことだらけの素材なのに、まだまだ世界に知られた製品ではなく、日本でも新しい素材として大きく成長させることができる、と直感的に感じ、輸入商社をスタートさせました。
しかし、ストーンペーパーには「価格が高い」「重たい」「品質が悪い」といった課題もあり、厳しい日本のマーケットで受け入れられるには難しさがありました。そこで、石灰石を主原料としながらも、ストーンペーパーとは異なる製法で「価格が安く」「軽く」「品質の良い」新素材を自社開発したのです。それが「LIMEX(ライメックス)」です。
ーLIMEXの製造プラント完成まで4年かかったそうですね
まず、事業として量産するためのプラント(工場)を作ることが必要でした。こんなに可能性のある事業だから、すぐに資金調達できると思っていたのですが、特許取得前であることやリーマンショック後という時代背景もあり、かなり苦戦することになったんです。
そんな中、相談をしていた投資家の方々に「日本ではなくグローバルに目を向け動いた方が良いのでは無いか」とアドバイスを受け、シンガポールや中東へ出向きました。そこでLIMEXに期待する声を多くいただき、改めて、素晴らしい市場ニーズを秘めた事業であるという確信を得ることができました。
しかし、すぐに資金援助には繋がらず、帰国後も苦戦していました。
この事業の運命が変わってきたのが、経済産業省の補助金に採択していただいてからです。ちょうどそのタイミングで「LIMEX」の特許も取得でき、周りの経営者の方々も援助してくれるようになりましたね。
緊張感やプレッシャーの中、補助金制度の期限間近である2015年2月になんとか第一プラントを完成させることができました。
ー4年越しの思いが形になった時はどんな気持ちでしたか?
人間、これだけ泣けるのか、ってぐらい泣きました。
世界的にも人口増加や石油資源の枯渇などの問題があり、新しい産業をつくっていかねばいけないというタイミングで、日本でこの事業を形にできたことが本当に嬉しかったです。
また、援助の相談をした方に「資金を出してやりたいけど、規模が大きすぎて自分が出せる額では解決ができない。出したとしても、完成しなかった時にあなたが苦しむことがわかるので手助けできない。」と言ってくださった方もいたので、そういった方を含め応援してくれる人たちにプラントが完成した吉報をようやくお伝えできたことや、プラントを建設した宮城県白石市にいる若者が、「LIMEX」を通じて活気に溢れ頑張っている姿を竣工式で見た時は本当に嬉しくて感動しました。
「『感動』を共有できる人と共に働きたい」
ービジネスパーソンとして、また人との出会いで、大切にしていることはありますか
「なにがあっても諦めない気持ち」ですね。
最初に起業した頃は生意気で「あの人ができるんだったら自分もできるだろう」と考えて、実際にやってみたら鼻っぱしを折られた、なんてこともたくさんありました・笑。それでも、諦めなかったことが自分の夢に繋がっていると思います。
人との出会いに関しては、これは一緒に働くメンバーに求めていることでもあるんですが、「共に戦い、感動を共有できること」を大事にしています。僕自身がすぐ泣くので、一緒に感動して涙を流せる人と共に働きたいですね。
ー最後に、山崎社長の夢を教えてください
新素材「LIMEX」を世界中に広め、貢献してゆきたいです。
2030年には、今の倍以上の紙が世界で必要になると言われています。その時に「LIMEX」を『当たり前』として選択できるようにしていくことが課題です。サステナビリティに対する意識が高まっていくなかで、私たちがその大きな一翼を担っていきたいですね。
先日発表した「LIMEX名刺」にも『100枚で約10ℓの水を守る』と謳っているのですが、日本において10ℓの水を削減できることにいったいどれだけ意義があるか、日本ではまだ大半がそういった意識が無いと思います。しかし、この話題に触れたときに「実はグローバルでは水問題が深刻で」と説明することで気づいてもらえることがあります。そういった意識づけのきっかけとして「LIMEX」が育っていく世界を目指します。
■LIMEXについて
LIMEX(ライメックス)は、石灰石を主原料に紙やプラスチックの代替となり、エコノミーとエコロジーを両立できる革命的な新素材です。
2014年に国内特許を取得し、世界43カ国で世界特許を取得、申請中です。
石灰石は、日本でも100%自給自足できる資源であり世界各地の埋蔵量も豊富で、ほぼ無尽蔵とされています。また、紙の代替として貴重な資源である木や水を使用することなく製造可能であり、プラスチックの代替としても石油由来樹脂の使用量を大幅に削減、環境負荷軽減に貢献できます。
LIMEXとは : https://tb-m.com/about/
プロフィール
山﨑 敦義(やまさき のぶよし)
1973年生まれ。大阪府 岸和田市出身。20歳で中古車販売業を起業し、その後も複数の事業を立ち上げる。30代になり、台湾で出会った石灰石を主材料とした「ストーンペーパー」に目をつけ、2011年に株式会社TBMを設立。自社工場でエコノミーとエコロジーを両立させた新素材『LIMEX』を作り上げ、国内特許を取得。2016年8月放送のテレビ東京系「日経スペシャル カンブリア宮殿」500回記念番組に出演。